マイカル本牧1

マイカル本牧へ10数年ぶりに行ってみました。かつて私は仕事だけでなくプライベートでもデートで行ったこともあるし、何よりマイカル本牧のベンチで彼女に別れの手紙を書いた苦い思い出もあります。しかし、今のマイカル本牧にデートで出かけるカップルなんていないでしょう。メイン道路の角に閉鎖されたまま醜態を晒している5番館の建物がなんだかこの間のマイカルの歩みを物語っているようでした。かつてはスペインだったかの港町をイメージした業界では画期的なショッピングセンターでしたが、今は見る影もありません。昔のイメージがあったので、どこがマイカル本牧なのか、さっぱりわからず最初は戸惑いました。犬を散歩しているご婦人に「マイカル本牧ってどこですか?」と聞いたくらいです。それもそのはずで、ウキペディアによれば、当時は1〜12番街まで建物があったそうですが、現在残っているのは、サティと横浜銀行が入る3番街とマイカルシネマズ(MOVIX本牧)が入る6番街だけで、残りは既に閉鎖されたり解体されたりしているそうです。もちろん、彼女に別れの手紙を書いたベンチなど跡形もありません。

マイカル本牧2

ただ、周辺は人どおりも多く、住宅街としてそれなりに活気がありました。交通手段がバスだけという不便さはあるものの、なにせ1980年代まで米軍に接収されていた土地ですので、横浜ではめずらしい平らな土地で、住宅地としてはめぐまれた環境にあり、マイカル本牧の凋落を尻目に宅地開発は順調にすすめられたようです。ただ、道路沿いの建物に「テナント募集中」の看板がやたら多かったのが気になりました。メイン道路の周辺はマンションが目立ちますが、一歩中に入ると瀟洒な一戸建ての住宅が立ち並ぶ住宅街もありました。それにしても、ウキペディアではないですが、ニュータウンの中に屹立する廃墟というのはまさにシュールな光景ですね。

マイカル本牧3

マイカル本牧4

帰りは山手トンネルを越えて元町まで歩きましたが、途中の本牧の商店街も昔ながらのいい味は出しているものの、やはりシャッターが下りた店舗が目立ちました。そもそもみなとみらい線を本牧まで伸ばす計画があったにもかかわらず、地元商店街の反対でとん挫したのだそうで、それを考えれば今日の廃れた情景は自業自得と言えなくもありません。余談ですが、横浜というのは、こういった住民エゴの影をいろんなところで見ることができます。横浜市は、かつての飛鳥田市政・長洲県政のなごりなのか、依然として”役人天国”の側面がありますので、住民エゴをタテに事なかれ主義が蔓延している気がしてなりません。

マイカル本牧ができたとき、文字通り業界では衝撃をもって受け止められましたが、今考えれば、「大丈夫なの?」という冷静な声は皆無でした。みんな「すごい」「すごい」と言っていたのです。これもバブルのなせる業だったのかもしれません。そう言えば、当時、私も会社から専用のクレジットカードをもたされ、月に30万円まで使っていいとお墨付きをもらっていましたし、車もベンツをあてがわれていました。どう考ても「いい時代」ではなく「おかしな時代」だったのですね。マイカル本牧の今日の無残な姿も「おかしな時代」のなれの果てと言うべきかもしれません。みんな狂っていたのですね。

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2009.07.03 Fri l 横浜 l top ▲
坂口安吾の随筆で歯痛に悩んでいる話を読んだことがありますが、私はこのところ胃痛に悩んでいます。みぞおちのあたりがキューッと痛くて仰向けになり上体をそらすといくらか楽になります。そうやって仰向けになっていると、ジーンと胃酸が下から上にのぼってくるような感覚があります。知り合いの病院でその話をしたら、「胃カメラを飲んで検査しましょうよ」と言われましたが(営業?)、私は胃カメラやバリウムが苦手なのでなかなか決心がつきません。

そう言えば、父親もよく「胃が痛い」と言ってましたが、私もとうとう「胃が痛い」年齢になったのかと思いました。父親と同じように、最近は「あっさりしたものが食べたい」というのが口癖になりました。若い頃、肥満や腰痛や胃痛などとはまったく無縁な人間だと思っていましたが、結局、どれも経験することになりました。要するに、タカを括っていただけなのですね。それが若さゆえの傲慢というものでしょうか。

ただ、怪我の功名ならぬ”胃痛の功名”もあります。体重がさらに減ったのです。2キロ減って、20代の体重まで戻るという目標まであと3キロになりました。喜んでいいのかどうか。

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2009.06.27 Sat l 健康 l top ▲
もしこのまま横浜に住みつづけるとしたら、次に住んでみたい街は根岸ですね。根岸の駅前は東横線沿線のようにゴチャゴチャしてなくて舗道も広いし、住んでいる人のレベルも比較的高そうです。と、こんな言い方は嫌味に聞こえるかもしれませんが、横浜の場合、こういったことは案外重要です。

横浜は常に「住みたい街」の上位に位置して、「オシャレな街」だとかいったイメージがありますが、実際は”東京型市民”と言われる「エリートサラリーマン」や「あざみネーゼや「山手のお嬢様」(半分は”横浜型市民”ですが)がいる一方で、”横浜型市民”の典型である「おっちゃん労働者」や「古典的なヤンキー」なども多く、いろんな階層の人間が混在するバラエティ豊かな街なのです(マイクロマガジン社『これでいいのか横浜市』)。地域にもよりますが、決してガラがいいとは言い難いし、車や電車のマナーもよくありません。「オシャレな街」には似つかわしくないJRAの場外馬券場が多いのもゆえなきことではないのです。

そのため、横浜には「どこに住むか?」「どこに住んでいるか?」といった土地のヒエラルキーみたいなものが隠然と存在します。また、黒澤映画の「天国と地獄」が象徴的ですが、平坦な土地が少なくて坂が多いため、どうしても坂の上と下という明確な区分け(棲み分け)がしやすいという側面もあるように思います。五木寛之も小田和正も沢田研二も萩原健一も北原照久もみんな丘の上に住んでいます。かつての”歌う不動産王”千昌夫も山手の丘の上に住んでいたそうです。もちろん、成功した華僑達も丘の上に住んでいます。成り上がったら丘の上へというのが横浜のパターンなのです。

根岸1

横浜にはいくつかの「高級住宅地」と呼ばれる丘の上の土地がありますが、根岸の根岸旭台や根岸台もそのひとつでしょう。そして、その丘はかの最強の高級住宅地である山手の丘へとつながっているのです。根岸の駅前に立ったら、誰しも「あの丘の上に住みたい」とあこがれの眼差しで緑におおわれた丘の上を見上げるのではないでしょうか。

ドルフィン」の前を通り丘の上にのぼると、やたらヒルトップやヒルサイドという名称が付けられた低層のマンションが建っており、なんだか威厳さえ覚えるような高級感を漂わせています。坂をのぼりきったところには、
”FIRE STATION”と赤い文字で書かれた米軍の消防署があり、サンディライオンのシールでおなじみのややレトロな消防車がずらりと並んでいました。もともとこのあたり一帯は米軍に接収されていたそうで、今でも消防署の先は贅沢なスペースの中に米軍住宅が広がっています。隣接する根岸森林公園ではフィリピン人のメイドさんがベビーカーに乗った金髪の子供を散歩させていましたが、如何にも昔のユーミンが好みそうな光景ですね。

根岸2

根岸森林公園は、日本で初めての西洋式の競馬場の跡で、米軍に接収されていたときはゴルフ場だったとか。この公園があるだけでも根岸の丘は高級住宅地の要素を充分かなえている気がします。ウーン、こんなところに階級社会が残っていたのか、そんなオーバーなことさえ考えさせられました。そう言えば、某中央官庁の職員住宅もしっかり建っていましたが、この国のエスタブリッシュメントを自負する役人達はさすがぬけ目がありませんね。

しかし、丘の上を貫く車道から脇に入ると、光景が一変します。まるで斜面にへばりつくように庶民的な家が密集しており、ケモノ道のような細い道が家々の間をぬうように蛇行しています。そんな坂道を適当に下ったら、山手トンネルの先に出ました。そして、山手トンネルをぬけて元町から中華街を通って帰ったのですが、金融危機の影響なのか、元町の通りにもシャッターの下りた店がいくつかありました。いつの時代も丘の下の庶民は大変なのですね。

>>ユーミンを聴く

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2009.06.24 Wed l 横浜 l top ▲
”国営マンガ喫茶”などとヤユされている国立メディア芸術総合センター(仮称)構想のニュースを聞いたとき、ふと、『パラダイス鎖国』(アスキー新書)の海部美和さんが3年前にご自身のブログ「Tech Mom from Silicon Valley」に書いていた、「日本製アニメは『東洋の魔女』時代のバレーボールか?」という記事を思い出しました。

よく「日本のアニメは世界に誇る文化だ」などと自画自賛する声を耳にしますが、案外そうでもない現実を海部さんはアメリカの例をあげて書いていました。もともと日本人というのは(日本人に限らないのかもしれませんが)、みずから神話を作りそれに酔い痴れる傾向がありますので、なんでも一歩下がって冷静に聞く必要があるのかもしれません。

アメリカにおいて、日本のアニメ、とりわけポケモンが一世を風靡したのは事実ですが、それにはアメリカのメディアの事情によるものが大きく、「偶然の産物」だったと海部さんは書いていました。

ポケモンが流行った頃、テレビメディアの規制変更によって(一定の比率で子供番組を流すと、放送ライセンスの取り扱いに優遇を与えるという政策によって)、「子供番組」の特需があったにもかかわらずコンテンツ制作が追いつかなかったため、窮余の策として手っ取り早く輸入して流さざるを得なかったという業界事情があったのだとか。その結果、たまたま(?)ポケモンがヒットしたというわけです。

しかし、ポケモン以後、日本のアニメの影響力はむしろ低下の一途を辿っているように見える、と書いていました。どうやら一部のオタク市場の中にある「ジャパン・クール」を過大視しているのが実態のようです。海部さんはそういった状況をつぎのように辛辣に書いていました。

(前略)たまたまアメリカや他のポテンシャルの高い国が手薄だったときに、日本が頑張って金メダルを取ったけれど、その後他の国が本気を出してきたらあっというまに沈んでしまったバレーボールみたいなものに見えるのである。ポケモンの流行は、一過性の「東洋の魔女」だったように見えるのである。

それなのに、まだ日本の新聞などでは、「日本はアニメが強い」「日本のアニメで、ジャパン・クールが受けている」と言い募っているのを聞くし、役人がそれに便乗して税金を無駄に使って不必要な仕事を作り出しているようだ。


もちろんこれは国立メディア芸術総合センター構想のはるか前に書かれていますが、けだし慧眼ですね。

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2009.06.20 Sat l 社会 l top ▲
「金を使え、ものを買え」という政府の掛声に乗せられて、相変わらず散財の日々を送っています。あれから春夏もののジャケットも誂えました。これで、今年に入ってなんと3着目です。紺のウインドベンの結構お気に入りの(もちろん、アメリカントラッドの)ジャケットなのですが、同時進行でダイエットをしていたため、出来上がりを見ると胴回りがややゆったりしている感じで、袖口もちょっと長く感じられました。

もちろん、「直し」もきくのですが、わざわざ持っていくのは面倒臭いので、近所の「仕立て直し」をやっているところで袖口だけ詰めてもらうことにしました。よく利用するスーパーの近くに、門のところに小さく「仕立て直し」の看板を下げている家があったので、とりあえず、ヤフーの電話帳で電話番号を調べて電話してみました。すると、案の定、実物を見てみないとわからないという返事でしたので、実物を持って行くことにしました。

で、件の家に行って、玄関で「すいません、先ほど電話した者ですが‥‥」と言うと、奥から出て来たご婦人が怪訝な顔をして、あきらかに戸惑っている様子でした。

「あの〜、○○さんのお宅では?」
「いえ、違いますよ」
「エッ、仕立て直しの○○さんではないのですか?」
「ああ、それならその線路の先の方ですよ」
「エッ」

つまり、同じ「仕立て直し」をやっている家でも、私がそうだと思い込んでいた家と電話した家は違っていたのです。

そうなると、私の本領発揮です。
「ああ、そうですか。まあ、いいや。面倒臭い」「実はこのジャケットの袖口を詰めてもらいたいんですよ」

正直そうなご婦人は、「○○さんでなくていいのですか?」
「いいです。いいです。電話しただけですから」

電話した○○さんには申し訳ないことをしましたが、このように最近はとにかくなんでも面倒臭くて、いい加減になっている自分がいます。ただ「金を使え、ものを買え」と言うだけのどこかの国の政府と同じで、これは末期症状なのかもしれません。

>>お金が全てではない

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2009.06.19 Fri l 日常・その他 l top ▲
東芝太尾アパート1

以前、「東芝太尾アパート」のキーワードでアクセスしてきた方がいらっしゃいました。どうしてこのキーワードでヒットしたのか不思議ですが、大倉山から菊名に向かう途中の裏道にこの東芝太尾アパート(正確には”東芝太尾家族アパート”)があります。

ところが、先日、前を通ったら、既に建物は無人と化し入口が板で封鎖されていました。以前、山本哲士さんが、ご自身のブログ「ホスピタリティの場所」で「日常にしみこむ金融危機の波及」と題して、「スイスもついにおつりをごまかしはじめた」話を書いていましたが、このアパートの封鎖もやはり金融危機と関係があるのでしょうか。

東芝太尾アパート2

実際に住んでいる人間から言えば、その理由がいまひとつわかりませんが、住宅地として人気のある大倉山には昔は社宅も多くあったようです。友達の話では、全日空の女子寮があったのだそうで、ウソかホントか「よく車で迎えに行ったよ」と言ってました。また、別の知人も、以前勤めていた中央官庁の外郭団体の職員住宅があったとかでなつかしそうに話していました。東芝の社宅もそのなごりだったのかもしれませんね。

駅近辺は昔からの細い路地が縦横に走っており、人気の住宅地(!?)にあるまじき歩行者と自転車のトラブルが絶えませんが、その中に古い木造のアパートが建っている一角がありました。駅から数分の場所にもかかわらず、まるでそこだけは時代から取り残されたようにノスタルジックな雰囲気を漂わせていました。ところが、そのアパートもいつの間にか取り壊されて更地になっていました。あのアパートには何人かのひとり暮らしのお年寄りが住んでいたはずですが、皆さんどうしたんだろうと思いました。区役所はちゃんとフォローしたのでしょうか。やや心配ですね。

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2009.06.15 Mon l 横浜 l top ▲
最近、もの忘れがひどくなりました。老化現象がはじまったのでしょうか。右手の指先もずっとしびれたままだし、細胞がどんどん死んでいるのが目に見えるようです。ときどき背中がやたら痒くてならないのですが、友達にその話をしたら「それは老人性皮膚掻痒症だ」と言われショックを受けました。なんでも年齢に結び付けれられるのは悔しいですが(しかも、必ず「老」の文字が入る)、これも寄る年波には勝てないというわけでしょうか。

今日も郵便局で郵便物を出そうとしたら、ふと、代金引換郵便を持ってくるのを忘れたことに気づきました。「あっ、忘れた!」と素っ頓狂な声を上げたので、窓口の職員から「大丈夫ですか?」と言われてしまいました。

そのあと、伊勢佐木町の有隣堂に行きました。詩人の鈴木志郎康さんの詩で、鈴木さんの地元である亀戸(江東区)をうたった詩があったことを思い出し、無性に読みたくなったからです。たぶん高校生の頃に読んだのではないかと思います。鈴木さんの詩集も持っているはずなのですが、なにせ部屋中本の山でどこにあるかわからないため、探すより買った方が手っ取り早いのです。

ところが、帰りの電車で、ほかの本は買ったものの、肝心な『鈴木志郎康詩集』を買うのを忘れたことに気づいたのでした。何のために有隣堂に行ったのか、自分でもただただ呆れています。

また、最寄り駅に着いてから、醤油を買わなければと思ってコンビニに寄ったのですが、帰宅してから今度は肝心な醤油を買うのを忘れたことに気づいたのでした。コンビニに入る前までは「醤油」「醤油」と頭の中でお題目のように唱えていたのですが。

こんな感じで、今日は肝心なものはなにひとつ買えないままでした。これは、前頭葉の神経細胞がまとまって死んでいる証拠なのかと思ったのですが、ものの本によれば、もの忘れを思い出すというのは脳が健康な証拠なのだとか。なんだかややこしい話ですね。

以前、大庭みな子さんが対談かなにかで、ものを忘れるというのは神様からのプレゼントだというような話をしていたのを読んだことがあります。ものを忘れることで人間は救われているのだと。なるほどそうかもしれません。ものを忘れることで苦悩から解放されるということはあるでしょう。認知症がすすんだお年寄りを見ていると、そう思う(そう思いたくなる)ことがあります。しかし、その一方で、忘れたいと思っていることに限って、記憶の根が深くなかなか忘れることができないという面もあります。もっとも、そうやって神様が気まぐれなのは、まだ若い証拠なのかもしれませんね。悲観するにはまだ早い?

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2009.06.11 Thu l 日常・その他 l top ▲
開港150周年の横浜。開国博Y150のベイサイドエリア、新港パーク近辺を歩きました。それにしても、平日とは言え、ご覧のとおりおせいじにも盛り上がっているとは言い難い状況です。どう見てもフジテレビのお台場冒険王に負けています。

地元紙や情報誌はいつものように提灯記事ばかりですが、好きな人とだったらどこへ行っても楽しいでしょうから、好きな人と一緒ならいいかもしれません。実際にその手のカップルが多かったように思います。ちなみに、横浜市は市内の小学生の3年生以上を強制的に学校単位で見学させているそうです。

ところで、開港50周年のときは森鴎外作詞による「横浜市歌」が作られ、開港100周年のときはマリンタワーが建てられたのですが、さて、150周年の目玉は何なのでしょうか? まさか、あの巨大クモとか? 

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今月オープンした象の鼻パーク。

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クイーンの塔(横浜税関庁舎)

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キングの塔(神奈川県庁)

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記憶の積層・1

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記憶の積層・2

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記憶の積層・3

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記憶の積層・4

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ワールドポーターズ

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汽車道・1

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汽車道・2

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2009.06.08 Mon l 横浜 l top ▲
私の知り合いの女の子で、本をほとんど読まないという子がいます。彼女は誰もが知っている難関大学を卒業した才媛なので、その話を聞いたとき、俄かに信じられませんでしたが、本人によれば、高校時代に推理小説を一冊読んだことがあるきりだそうです。

活字中毒の私から見れば、まるで異星人のように思えますが、現実にそういった若者は少なくないようです。ただ、一方で、彼らはネットに対する依存度は非常に高く、なんでもすぐネットで検索して調べることが半ば習慣化しています。あるとき彼女が得意分野であるはずの理数系の問題に関して質問した(というか、彼女の見解を質した)ところ、なにやらネットで調べはじめたのでした。どうしたんだろうと思って画面を覗いたら、なんと「教えてgoo」で調べていたのです。だったら最初からあなたには訊かないよと思ったのですが、そのときは黙っていました。

ところが、梅田望夫さんはこういった若者達を肯定的に見るのですね。別に自分の頭の中に知識を入れておく必要はなく、ネットにあればいつでも取り出し可能だし、またネットでは大衆の叡智によって日々高度な知識が蓄積されているので、その方が合理的だというようなことを書いていました。ネットに高度な知識が蓄積されているかどうかはともかく、私は、これは「コピペすりゃいいんだ」と言っているのと同じではないかと思いました。人間というのは、自分の頭でものを考え、自分の言葉で表現することが大事だと思ってきましたが、ややオーバーな言い方をすれば、もう自分の言葉を持つ必要はない、自分の意見もネットで見つければいいんだ、と言われているような気がしないでもありません。そう考えると、これは人間のあり様に関わる根本的な問題を含んでいると言えるのかもしれません。

誰かも言ってましたが、もやは人間は「考える人」ではなくただの「調べる人」になった感じです。人間というのは生きていると、ときに頭をふりしぼって、それこそ頭がおかしくなるくらい考えなければならないときがありますが、もはやそんな苦悩とは無縁なのでしょうか。

藤原智美さんは『検索バカ』(朝日新書)の中で、最近の学生はレポートもネットからコピペして作成し、それを平気で提出するので、大学の教官が頭を抱えているという話を紹介していましたが、さもありなんと思いました。大学のレポートだけでなく、ブログなども、今朝何を食べてどこへ行ったというような極私的なもの以外は大半(と言ってもいいくらい)がコピペです。

それはブログだけでなく、アマゾンのカスタマーレビューや映画評なども同様です。中には実際に本を読んでないし映画も観てないとしか思えないようなものも多く含まれています。グルメのブログでも、実際に行ってみると、そんなにおいしいとは思えないのに、ネットではどうして揃いも揃って似たような評価ばかりなんだろうと思うことがあります。もしかしたら、当人達にとってはそれが当たり前すぎて、今さらコピペしているという意識さえないのかもしれません。ところが、アマゾンのカスタマーレビューを見てその本を購入するかどうか決めたり、中にはもうそれだけで読んだつもりになる(わかったつもりになる)という人もいるそうですから、何をかいわんやですね。

梅田さんはその後、水村美苗さんの『日本語が滅びるとき』(筑摩書房)の書評をめぐってネットからシッペ返しを受ることになるのですが、実際に読んでない人間があたかも読んでいるかのようにいっぱしの意見を言うことができるのがネットなのですね。ただ、何度も同じことをくり返しますが、「ネットではご飯は食べられない」ので、やがてリアルすぎるくらいリアルでシビアな現実(人生の現実)に身を晒されたとき、自分の言葉を持ってないことの深刻さを痛感することになるのではないでしょうか。人生というのは、生きていく中で遭遇するさまざまな出来事をいわば批評することでもあるのですから、それは人が人である限り避けて通れない問題でもあります。そして、そのとき、ネットは所詮ネットにすぎなかったんだということに気が付くのでしょうが、問題はそれからですね。

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2009.06.06 Sat l ネット l top ▲
その後の「ダイエットのある生活」も依然として10キロ減の体重をキープしており、順調に推移しています。と言っても、苦行のようなストイックな食生活をしているわけではありません。たまにですが、大分県人が好きな鶏のから揚げも食べていますし、暑い日はアイスクリームも食べています。朝と夜のメニューは逆にしていますが、食事も三食きちっと食べています。

散歩はたまにしているだけで、とにかく普段の生活の中で歩くことを心がけています。今までは出かけた途中で買物をする際も、なるべく荷物が重くならないように考えて買物したものですが、今は逆に重い方が好都合だと思うようになりました。東横線の横浜駅でエスカレーターに乗客が殺到し、中国の都市のような醜い光景が繰り広げられているときも、それを横目で見ながら階段を利用すれば精神衛生上も好都合です。

私の経験から言えば、食事制限や散歩やジョギングやスポーツジムというのは、あくまで”従”で補助的なものと考えた方がいいように思います。でないと、義務感が生じて挫折するお決まりのコースを辿ることになるような気がしますね。

いずれにしても、この状態をしばらくキープして、さらにあと5キロ落とそうかと思っています。今の体重は15年前のレベルですが、あと5キロ落とせば20年前のレベルにまで戻りますから。

かくしてあの過ぎ去りし青春の日々に向って「ダイエットのある生活」はまだまだつづきます。

>>ダイエットのある生活
>>いつまでもメタボと思うなよ

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2009.06.04 Thu l 健康 l top ▲
このところなんだか「年を取った」話がやたら多くて恐縮ですが、昨日も「年を取ったな〜」と痛感する出来事がありました。

郵便局に代金引換郵便を出しに行ったときのことです。若い男性の職員がいたブースに行き、郵便物を差し出すと、彼は戸惑った感じで封筒の上に貼ってあるラベルをめくって裏の文面を読みはじめたのです。ふと、彼の胸を見ると「研修中」の名札が下がっていました。

私は咄嗟に「こりゃダメだ」と思いました。というのも、この時期になると、郵便局に新しく入った職員達が研修と称して窓口に座っていることが多く、そのたびに同じような質問を長々とされて、ほぼ毎日郵便局に通っている私はいい加減うんざりしていたからです。切手や葉書の販売などはさすがにスムーズにいくみたいですが、取扱い頻度の少ない代金引換郵便などになると途端に手が止まってしまうのです。先日などは確認のために何度も奥に引っ込んで、なんと1通の代金引換郵便を出すのに10分近くもかかったことがありました。

それで、私は、「こっちに頼むからいいよ」と言って、いきなり新人職員の彼から郵便物を取り上げると、隣のブースの女の子に「これ、お願い」と渡したのでした。郵便物を取り上げられた彼はまさにハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていました。

口はばったいことを言うようですが、先日の『週刊ダイヤモンド』でも特集されていたように、郵政民営化と言っても所詮は巨大な独占企業が生まれただけですから、かんぽの宿売却問題で垣間見えたような利権の問題も含めて、非常にいびつな形で民営化がすすめられているような気がしてなりません。民営化は自分達に都合のいいところだけで、都合の悪いところ(競争のないところ)では相変わらず「お上」の商売がまかりとおっています。だって、1通の郵便物を処理するのに10分近くもかかっているのを上司が見て見ぬふりをするなど、サービスを生業とする民間企業だったら考えられません。

とは言え、そのあと「自分も年を取ったな〜」としみじみ思いました。若い頃だったら、胸の中で舌打ちをしながらも我慢して新人の彼に付き合ったことでしょう。しかし、最近は我慢できなくて即行動ということが多くなりました。その堪え性のなさや図々しさや厚かましさは、やはり年齢からくるものではないでしょうか。オバサン化ならぬオヤジ化している証拠ですね(そう言えば、最近やたらと酢の物が食べたくなりますが、あれもオヤジ化?)。そのうち「暴走老人」(藤原智美)なんて言われるようになるのかもしれませんね。

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2009.06.01 Mon l 日常・その他 l top ▲
ヘレン・メリル

ネットの仕事は深夜にすることが多いのですが、そのときはいつもヘッドホーンで音楽を聴きながらやっています。そのときの気分によって、宇多田ヒカルであったり中森明菜であったりローリング・ストーンズであったり大西順子であったりするのですが、今夜はヘレン・メリルを聴いています。今夜は何故かヘレン・メリルを聴きたくて仕方ありませんでした。

ジャズ・ボーカルがやけに心に滲みるときがあります。最近は若いときほどジャズを聴いていませんが、ときどきふと、無性にジャズを聴きたくなることがあります。ロックは外向きだけど、ジャズは内向きだと言った人がいましたが、なんとなくわかりますね。また、ジャズは好きだけど、ジャズ喫茶やジャズファンは嫌いだと言った人もいましたが、それもわかりますね。

若い頃、アルバイトのお金が入ると高円寺の古本屋に行って、筑摩書房から出ていたドフトエフスキー全集を1冊づつ買いそろえていた時期がありました。そのあとは必ず高円寺の裏通りにあったジャズ喫茶に行って、わくわくしながら買ったばかりの本をめくったものです。私に限らず、そんなロシア文学とジャズが近しい時代がありました。

その店では、いづれも私より上の世代でしたが、社会からドロップアウトしたような個性的な人達が集まっていました。俳優の天本英世さんもよく見かけましたが、工事現場で働いてお金が貯まると海外を放浪し、たまにしか顔を見せない人や未だに政治的な運動に関わっていて、のちにみずから命を絶った人もいました。みんな、そうやって人生に苦闘していたのだと思います。

外は昨日からの雨がつづいています。やはり若い頃に読んだスコット・フィッツジェラルドの『雨の朝パリに死す』という小説を思い出しました。そう言えば、フィッツジェラルドもジャズ・エイジあるいはロスト・ジェネレーションと呼ばれていましたが、この小説のバックに流れているのも間違いなくジャズですね。

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2009.05.30 Sat l 文化・芸能 l top ▲
称名寺

横浜出身のモデル・小泉里子さんが、ラジオ番組の中で、地元のオススメスポットとして、金沢区の称名寺をあげていましたので行ってみました。

シーサイドラインの「海の公園柴口」で下車して、海の公園とは反対の坂道を上り、住宅街の中を5〜6分歩くと、称名寺の赤門が見えてきました。ちなみに、「海の公園柴口」の隣が「八景島」で、私が生涯でいちばん恐怖を味わったジェットコースターのある八景島シーパラダイスは海の公園の対岸にあります。

赤門をくぐると参道が伸びており、両隣は昔からの民家が軒を並べていました。中には参拝客相手に食べ物屋を営んでいる家もありましたが、平日でしたので、どこも店は閉まっていました。参道の先には仁王門があり、現在は通りぬけることができません。仁王門と言うからには当然、中から阿吽像(金剛力士像)が睨みをきかせていました。

仁王門の横から境内に入ると、まず、阿字(あじ)池と朱塗りの反橋が目に飛び込んできました。反橋と言えば、個人的には川端康成の小説を思い出しますが、川端康成の小説の舞台は大阪の住吉大社の橋なのですね。阿字池は、思ったより大きな池ではありませんでしたが、昔はもっと小さくて、これでも整備されて大きくなったのだそうです。庭園は「浄土式庭園」という平安末期の様式で、きれいに整備されており、年に数回ライトアップされるそうです。平日の午後でしたので、境内は人もまばらで、ほとんどが犬の散歩をしている近所の人達でした。

称名寺の背後は市民の森となっており、緑豊かな山林がつづいていました。昔は称名寺は山の中腹にあったのでしょう。しかし、今は駅からつづく坂道のまわりは典型的な新興住宅地になっています。隣には称名寺と縁の深い金沢文庫がありますが、残念ながら時間がなかったので、今回はパスせざるを得ませんでした。

小泉さんは、称名寺にはなんとも言えない空気感があると言ってましたが、それにはやはり、人の少ない平日がおすすめです。木陰のベンチに座って、静謐な時間が流れる境内の風景を眺めていると、しばし日常の些事も忘れ肩から力がぬけていくような気がします。

帰りは、来たときとは逆の坂道を下って京浜急行の「金沢文庫」の駅を利用しました。やはり、京急の方が古いので、京急側の住宅地は年季が入った建物が多く、私はふと、『歩いても 歩いても』の風景を思い出しました。もっとも、金沢文庫の住宅地は海とは反対側なので、坂道を下ると海が見えてくる『歩いても 歩いても』の舞台は、隣の金沢八景あたりではないかと言われていますが。

坂道を下っていると、私の前をひとりの老人が歩いていました。白い開襟シャツに綿のズボンをはいて、やや背中が丸まった白髪の紳士でした。しばらく歩くと、老人は生垣に囲まれた古い家の門の中に入って行ったのです。その門の上には文字もほとんど消えかかった板の看板が掲げられいました。門の中では、やはり年老いた男性が中腰になって花樹の手入れをしていました。前を通りすぎるとき、「先生、どうもすいません」「いえ、いいんですよ」といった会話が耳に入りました。年老いて廃業した町医者とそこにやってきた昔からのなじみの患者。私は、(やや強引ですが)なんだか『歩いても 歩いても』のシーンが再現されているような錯覚さえ覚えました。

こういった古い住宅地を歩いていると、子供の頃を思い出します。もうこういったほのぼのとした生活は望むべくもないのですね。そう思うと、なんだかさみしい気持になりました。

帰って駅の近くのスーパーでレジに並んでいたら、うしろの主婦が何度もカートを私にぶつけるのです。ぶつかっているのはわかっているはずですが、知らんぷりなのです。スーパーのレジや駅の券売機などでやけに前の人間をせかせる、この手の人間はよくいますが(そのくせ自分のときはゆっくり財布にお金を戻したりしてまったく気を使わないけど)、いい加減頭にきたので、「ぶつかってますよ!」と言ったら、「この人、なに?」みたいな顔をしてむくれていました。道を歩いていて自分からぶつかっても、相手を睨みつけるようなタイプの人なのでしょうが、今日はよけい「ああ、(まだ人々にデリカシーがあった)昔がなつかしいな〜」なんて思ったりして、いつの間にか回顧主義者になっている自分がいました。


称名寺1

称名寺2

称名寺3

称名寺4

称名寺5

称名寺6

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2009.05.26 Tue l 横浜 l top ▲
花粉症ということもあって、私は1年の半分くらいは外出するときはマスクをしていますが、手持ちが残り少なくなったので、買いに行ったところ、新型インフルエンザの影響でどこも売り切れでした。何軒かのドラッグストアやスーパーをまわったのですが、いづれも棚は空っぽでした。

それで思い出したのですが、今朝、まだ開店前だというのに駅前のドラッグストアの前に行列ができていたのです。私は「セールかな?」と思っていたのですが、あれはマスクを買い求める人達だったのですね。テレビのニュースでも、患者が入院している病院の前からレポートする記者が、これみよがしにマスクをしているのを目にしますが、いくらなんでもそれはやりすぎだろうと言いたくなりますね。

アメリカなどでは新型インフルエンザも普通の風邪と同じような受け止め方しかしてないそうで、それはそれで問題があるように思いますが、一方でこの国の過剰な反応には、記者のマスク姿に象徴されるように、ある種の異様ささえ覚えます。特に、ニューヨークに行った川崎市の高校の生徒が感染した件で、学校側の対応に批難が集中し、いわゆる”学校叩き”が行われているのを見るにつけ、若い頃に流行った「差別と排除の力学」「テロルとしての日常性」という言葉を想起せざるを得ませんでした。まさにそこにはニッポン社会特有の「世間」がむき出しになって露出しているように思います。

たまたま今夜、J-WAVEを聴いていたら、番組の中で、厚生労働大臣の専門家チームの一員である神戸大学医学部の岩田健太郎教授に電話インタビューしていましたが、その中で情報の公開ということに関連して、岩田教授が「感染した方の学校がどこで、職業がなんで、どういった行動をしたかなどは、専門的な見地から見るとほとんど意味がなく、あれは単に興味本位なもので、患者さんにはお気の毒な話ですね」と言っていたのが印象的でした。今にはじまったことではありませんが、そうやって俗情と結託して「世間」を煽っているのは誰なのか、私達は冷静になって考える必要があるのではないでしょうか。

それにしても、はてなダイヤリーに「神戸大学の岩田健太郎教授の言葉にぐっときている今〜H1N1の世界的流行の中で」という記事がありましたが、岩田教授の話には示唆に富んだものが多く、私もいろいろと考えさせられました。

新型インフルエンザに関する情報についても、岩田教授は、「成熟とはあいまいさを受け入れることだ」というフロイトの言葉を引き合いに出して、「あいまいさを受け入れることが大事」だと言ってました。情報というのは常にグレーなもので、白か黒か、いいか悪いか、やるかやらないかをはっきり言えるものではないと。しかし、「世間」の同調圧力というのは、白か黒かいいか悪いかはっきりした解答を求める傾向があります。そういった単純明快さを至上とし(単純明快でなければ理解できない?)、付和雷同して極端から極端に走るような考え方の先にあるのは、ネットで日々くり返されているような犯人探しと村八分的な「差別と排除の力学」による「テロルとしての日常性」です。

また、新しい情報には必ずガセネタも含まれているので、情報を鵜呑みにしてはならないと言ってました。だからと言って、有益な情報もあるので完全に無視するのではなく、「適切な猜疑心」を持った「中腰の姿勢」で向き合うことが大事だと。これはネットを考える上でも参考になるように思いました。

ものごとを冷静に受け止めることができるというのは、それだけ知性や見識があるからです。そう考えるとき、マスコミも含めて、まるで悪魔でもやってきたかのようにことさら大騒ぎをしているのがどういうタイプの人達であるかは今更言うまでもないように思います。

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2009.05.22 Fri l 社会 l top ▲
壱万円札

定額給付金・ハイブリット車購入資金の助成・高速料金の千円均一・省エネ家電のエコポイントなど、いわゆる麻生内閣の景気対策を見るにつけ、かつて故・江藤淳氏が「国家・個人・言葉」(講談社学芸文庫『アメリカと私』所収)に書いていた、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金をためろ、輸出を伸ばせ、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」(引用文の順序は小熊英二著『<民主>と<愛国>』新曜社より孫引き)という文章を思い出しました。

さしずめこれをもじって言えば、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金を使え、ものを買え、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」と言うべきかもしれません。国家主義者ならずとも「この国は大丈夫か?」と思ってしまいますが、しかし、かく言う私も偉そうなことは言えないのです。「唯物功利の惨毒」(夢野久作)におかされ、このところやたら散財しています。その意味では、従順なニッポン国民と言えるのかもしれません。

「貨幣の物神性」という言葉がありますが、この高度資本主義社会に生きる私達は、常にお金に縛られて生きるていると言っても過言ではありません。新聞に出ている事件の多くはお金にまつわるものです。お金の悩みは尽きないし、ときにお金の悩みほど深刻なものはありません。わずか数万円のお金のために人を殺す者さえいるほどです。お金の前にはなにが「善」でなにが「悪」なんて考えることさえ無力な気がします。

誰しも「ああ、もっとお金があればなぁ〜」と天を仰ぎ溜息を吐いたことはあるでしょう。「幸せはお金で買えると思いますか?」と質問されても、「そうは思いません」とはっきり答えることのできる人は少数ではないでしょうか。「人生に必要なものは、勇気と想像力とほんの少しのお金だ」というのはチャップリンの有名なセリフですが、この現代社会では「ほんの少しのお金」ではとても幸せになれそうもありません。

吉本隆明さんと中学時代の同級生だった川端要壽氏の『堕ちよ!さらば―吉本隆明と私』(河出文庫)という本に印象深い話があります。失業中であるにもかかわらず、友人や知人、親戚などに寸借詐欺まがいに金を無心しては競馬場通いをして、すっかり身を持ち崩してしまった筆者は、ある日、吉本宅を訪ね、意を決して三千円(昭和38年の話)の借金を申し入れたのだそうです。すると、吉本さんはこう言ったのだとか。

(前略)吉本は千円札を三枚、私の手に握らせると言った。
「俺のところもラクじゃない。しかし、この金は返さなくてもいいんだ。なあ、佐伯(注:筆者のこと)。人間ほんとうに食うに困った時は、強盗でも何でもやるんだな」


この言葉はなんだか親鸞思想を彷彿とさせますが、お金について、あるいは生きていくということについて、深く考えさせられるものがあるように思います。

お金に苦労したからお金が全てだと考えるのか、それとも、お金に苦労したからお金が全てではないと考えるのかでは、大きな違いがあります。常にお金に縛られて生きることを余儀なくされているからこそ「お金が全てではない」と言いたい気持はありますが、しかし、そう言い切るにはまだまだ人生の修行が足りない気がしますね。

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2009.05.18 Mon l 日常・その他 l top ▲
ウェブはバカと暇人のもの

光文社新書の4月の新刊『ウェブはバカと暇人のもの−現場からのネット敗北宣言』(中川淳一郎著)と『ヤンキー進化論−不良文化はなぜ強い』(難波功士著)が面白かったです。新横浜駅の三省堂書店で購入したのですが、同店の新書のコーナーでもこの二冊はよく売れているようでした。

『ヤンキー進化論』については、後日あらためて書こうと思っていますが、ネットに関しては、私は仕事の関係で1日の多くの時間をネットですごしている、いわばネットのヘビーユーザーと言ってもいいかもしれません。そんな私から見ると、どうしても衆愚化した面ばかりが目に付いてならないのです。

私はインターネットの前は、ワープロでパソコン通信をやっていました。東芝のルポというワープロに秋葉原で買ってきたモデムをつないで、ニフティサーブのフォーラムなどによく出入りしていました。田口ランディさんを知ったのもその頃です。パソコン通信は最盛期でも恐らく100万〜200万人くらいの規模だったのではないかと思いますが、それでもごく限られた人達の世界でしたので、衆愚化とはまったく無縁でした。それに比べれば、今のネットは散々たるものだと言わざるを得ません。

まして『ブログ論壇の誕生』(佐々木俊尚著/文春新書)などと言われると、「どこが?」と突っ込みを入れたくなります。実際に『ブログ論壇の誕生』の巻末でリストアップされている、「オピニオンリーダーになるような」著名ブログの一覧を見ても、とてもじゃないが「論壇」なんて片腹痛いと思いました。むしろ、私は、『ウェブはバカと暇人のもの』の著者の中川氏がまえがきで書いていた、次のような意見に同意せざるを得ません。

悲しい話だが、ネットに接する人は、ネットユーザーを完全なる「善」と捉えないほうがいい。集合知のすばらしさがネットの特徴として語られているが、せっせとネットに書き込みをする人々のなかには凡庸な人も多数含まれる。というか、そちらの方が多いため、「集合愚」のほうが私にはしっくりくるし、インターネットというツールを手に入れたことによって、人間の能力が突然変異のごとく向上し、すばらしいアイデアを生み出すと考えるのはあまりに早計ではないか?


これは、インターネットのニュースサイトの編集者の立場から見た文字通りの実感なのでしょう。

「ネットで流行るのは結局『テレビネタ』」だとか、「ネットはプロの物書きや企業にとって、もっとも発言に自由度のない場所」だとか、「ネットが自由な発言の場と考えられる人は、失うものがない人だけである」などというのは、よくわかる話ですね。また、今は亡きナンシー関さんがもしあの辛口コラムをブログでやったら、すぐ炎上してうまくいかないだろうという話も、かつて『噂の真相』の彼女のコラムを愛読していた人間としては、わかりすぎるくらいよくわかる話でした。(ちなみに、『ヤンキー進化論』でも冒頭から彼女のコラムが取り上げられていましたが)

インターネットの技術についても、中川氏によれば、2ちゃんねる管理人の西村博之氏は自著『2ちゃんねるはなぜ潰れないか?』(扶桑社新書)の中で、「昔からあったさまざまな技術を、さまざまな営業サービスを駆使して見せ方を変え、売っているにすぎないのです。」「今後インターネット技術では発明は生まれないでしょう。」と書いているそうですが、新しいサービスが出るたびに「すごい!」「乗り遅れたら大変だ!」と騒いでいるのは、腹に一物の業界関係者やIT関連のメディアなどに煽られ「ネットに過度の期待をしている(させられている)」人達で、ホントにネットに通じている人は案外さめた目で見ているのではないでしょうか。

私達は、ネットに対するさまざまな幻想を一度疑ってみる必要があるのかもしれません。そして、ネットにふりまわされるのではなく、ネットという便利なツールをうまく活用するためにも、「たかがネット」との正しい付き合い方をもう一度考えるべきかもしれませんね。その際、次のような含蓄のある言葉は参考になるように思います。

ネットは情報革命の主役ではない。あくまでも電話を頂点とする情報革命の第二段階以後の担い手でしかない。
(中略)
ネットは便利である。こんな便利なものは本当に珍しい。だが、電話ほどの画期性はない。ネットがない時代も日本は成長していた。高度成長期にもバブル期にもネットはなかった。その程度なのである。だから、その程度の期待値で良いのである。あくまでもさまざまなものを本当に便利で効率的にしてくれただけだ。電話によってもたらされた「革命」のあとに来た「繁栄」を担っている程度である。


ネットがない時代にもともと優秀だった人は、今でもリアルとネットの世界に浮遊する多種多様な情報をうまく編集し、生活をより便利にしている。ネットがない時代に暇で立ち読みやテレビゲームばかりやっていた人は、ネットという新たな、そして最強の暇つぶしツールを手に入れただけである。


>>ウェブ時代

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2009.05.12 Tue l ネット l top ▲
ダイエット

ダイエットのその後ですが、10キロ減という目標をほぼ達成しました。問題はこれからですね。過去の経験から言っても、この体重をどう維持していくかがいちばんの問題です。目標を達成したからといって安心すると、また情け容赦ないリバウンドが待っています。これからも、ややペースをゆるめながら、いわば「ダイエットのある生活」をつづけていかなければなりません。この大衆消費社会に生きる身としては、そうやってみずからの欲望をコントロールするしかないのです。

ちなみに、私のダイエット法はふたつポイントがあります。ひとつは、朝と夜の食事を逆にすることです。もうひとつは、一日に1万5千歩歩くことです。特に、歩くことについては、散歩だけで1万5千歩を歩くというのはかなり時間もかかりますし、それに毎日そうやって散歩しなければと考えると義務感が伴い苦痛になってきます。それで、散歩にこだわらずに、とにかく日常生活の中で歩くことを心がけるのが最善の方法です。まして東京のような都会で電車通勤などをしている場合は、ちょっとした心がけさえあれば1万5千歩なんて簡単にクリアできます。

にもかかわらず、階段を使わずに横から割り込んででもエスカレーターに乗ろうとしたり(東横線の横浜駅!)、電車に乗れば人を押しのけて座席に座ろうとするのは、もったいないなと思いますね。その一方で、ナイロンのジャージを着て首にタオルを巻き、公園の中を歩いたりジムに通ったりと、まるで苦行のようなダイエットをしている姿を見るにつけ、もっと日常生活を工夫すればその方が楽なのにと思ってしまいます。

と、友達にこんな話をしたら、「はい、はい、あんたが大将」と言われました。

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2009.05.07 Thu l 健康 l top ▲
ネイビージャケット

この春は街角でネービーのジャケットを着ている女の子を多く見かけます。と言って、いわゆるリクルート服ではなく、金ボタンがついたドラッドなデザインで、やや丈が短いのが特徴ですね。ユニクロのサイトで見たら、胸にワッペンがついているデザインで、なんと2980円で売ってました。信じられない値段ですね。

と言うのも、私は、春夏もののネイビーのジャケットをクリーニングに出したら、裾の方がほつれているのに気付いて、急遽、新しいジャケットを誂えることにしたのですが、これがユニクロのジャケットだと数十枚買える値段なのです。もちろん、既製品ならメンズでも安いものはいくらでもありますが、何度も言うように、縦に長いトールサイズなので、既製品であっても、新宿の伊勢丹のメンズ売り場で売っている海外のブランドものくらいしかないのです。

ちなみに、靴のサイズは28センチです。靴に関しては今は困ることはありませんが、昔はやはり苦労しました。まして、九州にいた頃は店頭で見つけるなんて皆無でした。それで、リーガルの専門店からカタログをもらって、カタログで注文して取り寄せてもらっていました。リーガルは普通よりワンサイズ大きかったので、リーガルの27センチだとちょうどよかったのです。

以前、私の悩みを聞いた女の子から、某ファッションメーカーのサンプルバーゲンの招待状をもらったことがあります。主にヨーロッパから輸入したサンプル品を格安で処分するのだそうで、やはりサイズで困っている外人のモデルなどもたくさんやってくるので、サイズの合うのがあるんじゃないかと言うのです。

それで、会場のホテルに行ったら、まず外人のモデル達のパワーに圧倒されました。彼らは試着室などには行かず、その場で手当たり次第に試着するのでした。草なぎ剛ではないですが、ビキニのパンツひとつで平気でウロウロしていました。

たしかにサイズも合うし、イタリアのブランドものが驚くほど格安で買えたのですが、ただ、私のような着たきり雀の東洋の貧乏人にはやはり高級すぎました。どれも生地がやわらかくて繊細なのです。そのため、毎日着ていると、すぐ擦り切れてしまうのでした。特に、ポケットとお尻が傷みました。それでもなんとかソプラーノとかいったイタリアのブランドものですから、あるとき、友達の買物に付き合って原宿のショップに行ったら、店員から「ファッション関係の方ですか?」と訊かれたことがありました。友達に聞こえないような小さな声で「ええ、まあ」と答えましたけど。地方出身者の哀しい性(さが)ですね。

>>おしゃれをする

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2009.04.25 Sat l 日常・その他 l top ▲
私はほとんど決まったブログしか読みませんが、普段あまり読まないブログでもたまにのぞいてみると、思わず膝を叩くような文章に出くわすことがあります。最近の収穫は、毀誉褒貶の激しい元NHK職員にして経済学者の池田信夫氏がみずからの「池田信夫blog」に書いていた次の文章です。(引用してページを埋めます)

(前略)かつては誰にでもチャンスはあり、一生懸命働けば報われるという希望があったが、もう椅子取りゲームの音楽は終わった。いま正社員という椅子に座っている老人はずっとそれにしがみつき、そこからあぶれた若者は一生フリーターとして漂流するしかない。だから彼らは意外に「正社員になりたい」という願望をもっていない。気楽なフリーターに順応すれば固定費も少なく、それなりに生活できるからだ。

この状況から「派遣村」のように労働組合と連帯しようという方向と、赤木智弘氏のように「戦争」を求める方向の二つにわかれる。前者のほうが建設的にみえるが、実はその先には何もない。彼らが連帯を求めている労組は、椅子にしがみついている人々だから、同情して仮設住宅を世話してくれるが、決して席を空けてはくれないのだ。この椅子取りゲーム自体をひっくり返すしかない、という赤木氏のアナーキーのほうが本質をとらえている。

しかし残念ながら、若者にはその力はない。かつてのマルクス主義のような、彼らを駆り立てる「大きな物語」が失われてしまったからだ。こうして実社会の共同体から排除された若者は、仮想空間で共同体を築く。「2ちゃんねる」に見られるのは、似たもの同士で集まり、異質なものを「村八分」で排除することに快楽を見出す、ほとんどステレオタイプなまでに古い日本人の姿だ。世界のどこにも見られない、この巨大な負のエネルギーの中には、実社会で闘うことをあきらめた若者の姿がみえる。
(2009/04/19 希望を捨てる勇気)


私は、いわゆる“池田信者”ではないし、むしろアンチの方だと思いますが、この意見に関しては「異議なし!」ですね。ネットは世間の延長で、旧弊な如何にもニッポン的な世間は今やネットの中に生きているというのは、前にも書いたことがありますが、若者だから「新しい」とか「進んでいる」とか、まして「賢い」というようなことはないのです。ネットというのはともすれば夜郎自大になりがちで、自分達は政治に「抵抗」しているつもりでも(と誇大妄想しても)、現実は彼らをパシリに使っている既得権者の老人や世襲議員達の方が一枚も二枚も上手なのです。ネットの若者達はそのことにあまりにも鈍感すぎる気がします。

官庁の法案作りにも参画したことのある、どちらかと言えば体制派の知り合いの弁護士は、「法律というのは国家が作るので、自分達に都合のいいようになっているのです」と言ってましたが、今の若者達は国家というのはそういうものだという認識が足りないように思います。それが、既得権者から奪われたものを奪いかえせとか言いながら、結局は狡猾な既得権者にいいように利用されている所以なのではないでしょうか。もっとも、この池田氏の文章も、「希望を捨てる勇気」というタイトルからして、そんな若者達に対して半分は皮肉で書いているような気がしないでもありませんが。

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2009.04.23 Thu l 社会 l top ▲
伊勢佐木町と野毛の間に吉田町という小さな街があります。わずか250メートルの通りなのですが、そこに画材屋やギャラリーなどが集まっており、真偽のほどはわかりませんが、地元では“横浜のモンマルトル”と呼ばれているのだそうです(どこが?という感じですが)。その吉田町で土日に「アート&ジャズフェスティバル」が開催されるというので、午後から出かけました。すでに10回目だそうですが、例年もそうなのか、「ヨコハマ大道芸2009」の一環として催されていました。

みなとみらい線の馬車道駅で下車したのですが、表に出ると馬車道も大変な人で、いたるところで大道芸が行われていました。また、松坂屋が閉店してややさびれた感のあった伊勢佐木町もいつになく人で埋まっていました。他に、みなとみらいでも大道芸が行われたそうです。

アート&ジャズフェスティバル1

アート&ジャズフェスティバル2

吉田町の通りは歩行者天国になっており、路上ではアート作品の販売やジャズのライブが行われていました。今日は永井隆雄グループ・竹内直グループ・渡辺典保グループが演奏していました。観客の年齢層がやや高いのが気になりましたが、やはり、ジャズの生演奏はいいですね。出演しているミュージシャンの中で二人見覚えのある顔がありました。彼らのアドリブを交えた巧みな演奏を聴いていると、ジャズミュージシャンというのは職人なんだなと今更ながらに思います。それが、横浜の古い街に残る下町的な気質と合うのかもしれませんね。彼らもときどき缶ビールを飲みながらいつになく楽しんで演奏しているように思いました。

永井隆雄グループ

竹内直グループ

渡辺典保グループ

ところで、横浜では今月の28日から9月27日まで、開港150周年を記念する開国博Y150が開かれます。私のまわりではその話題を耳にすることはほとんどありませんが、「横浜はオシャレだ」と思っている(勘違いしている)ような人達には大きなイベントなのかもしれません。「博覧会」と謳ってはいますが、内容はフジテレビがお台場でやっているイベントとたいして変わらないように思います。そう言えば、今日もテントの下でペラペラのパンフレットを500円で売っていました。私は無料かと思って、勝手に取ろうとしたら、「Y+150」のスタッフジャンパーを着た係員があわてて両手でパンフレットを押え、「500円ですっ!」と叫んでいました。

大道芸2009・2

大道芸2009・1

大道芸2009・3

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2009.04.19 Sun l 横浜 l top ▲
恒例の秋の健康診断に行きました。詳しい検査結果は後日に出ますが、前回やや難があった血圧や左耳の聴力は今回は問題はありませんでした。胴まわりをはかる際、メジャーを当てた係の人から「お腹を引っ込めないで、普通にしてください」と言われました。ついいつもの癖が出てしまいましたが、体重は前回より6キロ減っていました。

「何かダイエットでもしているんですか?」
「ええ、まあ」
「半年で6キロってすごいですね。どんなダイエットしているんですか?」
「コアリズムですよ。毎日、姿見の前で腰を振ってます」
「ああ、あれ‥‥」

まわりの人達も興味深々という感じで耳を傾けていました。ホントはただ歩いているだけなんですけど。

気分がいいとサービス精神も旺盛になります。

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2009.04.11 Sat l 健康 l top ▲
太尾隊道桜

うららかな春の陽気に誘われて、散歩がてら花見に行きました。

まず、最寄駅とは反対側の太尾新道沿いの桜を見ながら新横浜まで歩きました。新横浜からは市営地下鉄で桜木町に行きました。

野毛を横切り、都橋から長者橋までの大岡川沿いを歩きました。平日の昼間にもかかわらず、結構人は多かったです。日本人が3分の2で、残りは中国や韓国、フィリピンなどの外国人でした。

大岡川桜1

以前このあたりは外国人の街娼達のメッカだったそうです。しかし、開港150周年を前にした浄化作戦でほとんど姿を消したのだとか。もっとも、この花見のシーズンは例年開店休業だったのでしょう。

大岡川桜2

大岡川桜3

川沿いの道路は福富町西通りと呼ばれ、その奥はソープランドと韓国料理店が林立する横浜の暗所とも言うべき福富町です。道路沿いにもソープランドが並んでいますが、黒のスーツを着た呼び込みの男性達が手持ち無沙汰な様子で花見客を見ていました。

川の歩道沿いにはビニールのテントを張った屋台が出ていましたが、スペインやベトナムやブラジルなど、実に国際色豊かでした。ただ、なんとなく胡散臭い感じがなきにしもあらずでしたが。

山下公園大道芸1

山下公園大道芸2

花見のあとは伊勢佐木町〜寿町〜石川町駅のルートで山下公園に行きました。山下公園では若い大道芸人のパフォーマンスに観客達が歓声をあげていました。

さらに山下公園から遊歩道を歩き、万国橋の運河沿いのいつものベンチでしばらく休憩して帰ってきました。帰って万歩計を見たら、1万8千歩歩いていました。満足、満足。

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2009.04.03 Fri l 横浜 l top ▲
エチカ池袋

オープンしたばかりのエチカ池袋に行きました。残念ながら写真を撮ることができませんでしたので、今回はパンフレットの画像のみですm(__)m。

私が上京して最初に住んだのは、西武池袋線沿線の街でした。そして、一昨年、横浜に引っ越すまで10数年住んでいたのが、東武東上線沿線の街です。従って、乗継ぎ駅の池袋は、私にとって東京でいちばん馴染みのある街です。特に、東武東上線を利用するようになってからは、東口より西口に出ることが多くなりました。西口は東口に比べて人が少なく、ややひなびた感じがあるので、なんとなくホッとするところがありました。

それに、なんと言っても私にとっていちばん大きな理由は、西口には芳林堂書店(2003年12月閉店)があったからです。東武デパートの旭屋や東口のジュンク堂など大型書店ができるまでは、池袋と言えば芳林堂でした。私は本屋に行くのが趣味のような人間ですが、いちばん利用したのはやはり池袋の芳林堂です。

西口の地下の端には人知れず新線池袋という駅がありました。有楽町線の和光市駅や小竹向原駅でうっかり「新線池袋行」に乗ろうものなら、西口の地底深くに作られたホームに放り出され、少なからず戸惑うはめになります。ましてJRに乗り換えようとすると、改札口を出てからさらに閑散とした地下通路を東口の方に向って延々歩かなければなりませんでした。

その閑散とした地下通路に約40の店舗が入って先月オープンしたのが、エチカ池袋です。ちなみに、”駅の地下”だから、「エチカ」だそうです。もちろん、事業主体は東京メトロ(旧営団地下鉄)です。エチカ池袋の場合、20代〜40代のカップルがターゲットだそうですが、実際は有楽町線や副都心線を利用して都心で働く、埼玉都民の若い女性達が主流になるのでしょう。それにしても、東京メトロが「エチカ」で、JR東日本のエキナカ(駅の中)が「エキュート」(駅がキュート?)と、いづれも人を食ったような安易なネーミングで、なんだかまぎらわしくてなりませんね(ネーミングまでが横並びというのはいかにも官僚的な鉄道会社らしい気がします)。

西口の商店街は、今回は相乗効果を期待して反対もなかったそうです。たしかに、JRと違って改札口の外の通路なので、利用客が地上に出てくることを期待する気持はわからないではありません。しかし、残念ながら地下通路の構造や位置関係からみると、とても地上に上がってくるとは思えず、相乗効果は画餅になる可能性大です。

それより、池袋を利用する埼玉都民の多くが口にしているように、「ホントに大丈夫なの?」というのが偽らざる現実でしょう。これほどエキナカや駅ビルが乱立すると、もはやテナントに新鮮味もなく、あきらかに企画のマンネリ感は否めません。もっとも、東京の都心の地域間競争なるものも、所詮鉄道会社におんぶに抱っこしたものでしかないのですから、こんな個性のない街づくりが消耗戦になるのは当然でしょう。

ところで、私が何より驚いたのは、このエチカ池袋のコンセプトが「池袋モンパルナス」だということです。西口には東京芸術劇場があるので(かの舞台芸術学院もあるし)、その延長で「池袋モンパルナス」を思いついたのかもしれませんが、資本というのは金もうけのためならなんでも利用するもんだなとあらためて思いました。

「池袋モンパルナス」については、宇佐美承氏が文芸誌『すばる』に連載していたのを読んで私も初めて知ったのですが(同氏の『池袋モンパルナス』は現在、集英社文庫に収録)、その芸術家達御用達であった芳林堂も今はなく、また、サンカ小説で有名な作家・三角寛(大分県直入郡出身)がはじめた文芸座も実質的になくなり、今や池袋中華街構想に象徴されるように、中国人とムスリムの聖地と化したような西口に、「池袋モンパルナス」をコンセプトにもってくるなど、「いい根性しているな」と思いました。(西口の商店街が反対しなかったのは、中華街構想よりまだこっちの方がマシだという消去法だったのかもしれません)

もっとも、エチカ池袋は全面オープンではなく、今秋、さらに「アートの薫りがするゾーン」「ESPACE ART」がオープン、同時に地上9階地下3階のテナントビル・池袋12番街区ビル(仮称)も完成予定だそうです。しかし、西口には既に東武百貨店の隣にメトロポリタンプラザもありますし、埼玉都民ならずとも「ホントに大丈夫なの?」と言いたくなりますね。毎日乗継ぎでいろんなものを見ている埼玉都民の感覚は意外と鋭いですよ。あなどるなかれ。

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2009.04.02 Thu l l top ▲
メタボポスター

一日1万5千歩を歩くように心がけて、もう半年以上が経ちますが、最近、やっとその効果が表れてきました。今までのダイエットは、要するに食べるものを食べなかっただけなので、いったん痩せてもすぐリバウンドしていました。それで、今回は食べることは二の次にしてひたすら歩くことを心がけました。とは言っても、やはり、自然と食べることにも気を付けるようになり、間食はしなくなりました。その結果、7キロ体重が減ったのです。人から「最近、痩せたんじゃないですか?」と言われて、体重をはかったら思いのほか減っていたという感じです。

あと2キロ減量すれば目標達成なので、もう少しですね。問題はかつてのようにリバウンドをくり返さないことです。そのためには、今の生活をつづけるしかありません。歩くことに関しては、たとえば、時間があれば隣の駅まで歩きますし、帰りも隣の駅で降りて歩いて帰ったりしています。

横浜にお住まいの方ならわかると思いますが、みなとみらいでも関内でも伊勢佐木町でも元町でも、横浜駅で降りて、あとはひたすら歩いて行くようにしています。都内でもひと駅くらいは歩きます。散歩もしていますが、散歩だけだとやはり「散歩しなければ」という義務感が伴いますので、普段の生活でなるべく歩くように心がけています。

今まで少しきつかったズボンがゆるく感じられたりするのは気持のいいものです。そう思うと、心なしか身体も軽くなったような気がしますね。やはりダイエットを実践した岡田斗司夫さんに『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)という本がありますが、私は「いつまでもメタボと思うなよ」と言いたい気持です。

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2009.03.29 Sun l 健康 l top ▲
親鸞上人

昨日、有楽町の東京国際フォーラムで行われた「親鸞フォーラム―親鸞仏教が開く世界」(真宗大谷派・朝日新聞主催)に行きました。私は、若い頃、やはり真宗大谷派の若い僧侶達が催す集まりに何度か出かけたことがありますが、なんだか当時の思いがよみがえってきた気がしました。

今でも『歎異抄』の一部をそらんじているくらい、若い頃は何かにつけ『歎異抄』を読み返していました。親しい友人に言わせれば、私はもともと「人間嫌い」の傾向があるそうですが、当時も、人間というのはどうしてこんなに汚たなくてえげつないんだろうというような人間不信の念に陥っていたように思います。もとより自分自身に対してもそうでした。

そんな中で、「わがこ々ろのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし」(第十三章)というような『歎異抄』の言葉に惹かれたのでした。私は”因果業報”という言い方が好きなのですが、親鸞を読むうちに、”業”あるいは”宿業”ということをよく考えました。

当時、親鸞の思想に新しい光を与えたと言われた吉本隆明さんの『最後の親鸞』(春秋社)を久しぶりに開いたら、次のような箇所に赤線が引かれていました。

人が勝手に解釈できるようにみえるのは、ただかれが観念的に行為しているときだけだ。ほんとうの観念と生身とをあげて行為するところでは、世界はただ<不可避>の一本道しかない。その道を辛うじてたどるのである。このことを洞察しえたところに、親鸞の<契機>(「業縁」)は成立しているようにみえる。


若い頃の切実な思いが垣間見えるようですが、要するに、”業”あるいは”宿業”というのは、単なる宿命論ではないということですね。人間というのは、知識や経験など自分のもっているものを総動員しても、、もうどうすることもできない、どうにもならないときがあります。そして、結果的に、そうせざるをえない(そうせざえるをえなかった)、そうならざるをえない(そうならざるをえなかった)ということがあります。人間という存在の根底には、そういったいわば”無明の闇”がひろがっており、それを”業”あるいは”宿業”というのではないでしょうか。

だから、親鸞は『歎異抄』の第一章で、かの悪人正機説の前段として、「念仏もうさんとおもいたつこ々ろのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあずかりしめたまふなり」と言ったのでしょう。念仏を唱えることが大事なのではなく、念仏を唱えようという心(気持)こそが大事で、しかも、それだけで充分なのだ、と言うのです。

むしろ若い頃より今の方が人間不信の念は強くなっているかもしれませんが、しかし、最近は『歎異抄』を開くこともとんとなくなりました。でも、最後は『歎異抄』さえあればなんとか生きていけるような気がしますね。いづれもう一度若い頃のようにくり返しくり返し『歎異抄』を読むときが来るのではないでしょうか。そんな気がします。

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2009.03.22 Sun l 日常・その他 l top ▲
新港埠頭の船

別に「海を見ていた午後」を気取ったわけではありませんが、新港埠頭で港を行きかう船を見ていたら、何故かふと、ゴールデン・カップスデイヴ平尾さんが昨年亡くなったことを思い出しました。ゴールデン・カップスについては、(以前に紹介しましたが)山崎洋子さんの『天使はブルースを歌う』(毎日新聞社)に詳しく書かれていますし、また、同書の中でも長編小説『ハートに火をつけて!』が取り上げられていますが、鈴木いづみさんもゴールデン・カップスのファンでした。小説だけでなくエッセイなどでもよくカップスのことを書いていたのを読んだ覚えがあります。

本牧の米軍住宅が返還されたのが1982年だそうですが、戦後の横浜はアメリカの占領地としての側面もあったのです。そして、そんなアメリカ文化の影響を直に受けて育った横浜の少年達。その代表としてゴールデン・カップスがいたのでしょう。「長い髪の少女」はゴールデン・カップスのヒット曲として有名ですが、彼らは普段のステージではこの曲を歌わなかったそうです。「長い髪の少女」はあくまでテレビ用の歌で、自分達が歌いたい歌ではないからというのがその理由でした。

そういった先進的な音楽性は、当時のグループ・サウンズにも影響を与えたようで、新山下のタイクーンで行われた追悼ライブには、沢田研二さんや岸部一徳さんやギタリストのCharなども駆けつけたそうです。そこには私達が知らないもうひとつ別の横浜の顔があるように思いました。

今年の元日の朝日新聞・神奈川版に、「還暦ジュリーは止まらない〜横浜に20年」というインタビュー記事が出ていました。沢田研二さんが横浜に住むようになったのもデイヴ平尾さんからすすめられたからだそうです。沢田さんは、その中で、横浜について次のように語っていました。

■人情深い街で空が広い■

東京にいたころ、「本牧にすごいバンドがいる」って聞いて、テレビ出演の後、車を飛ばして見に行きました。
それがザ・ゴールデン・カップス。彼らはお客さんとすぐ近い所にいて、メンバーの1人はアンプの上に腰掛けながらやってた。「何なのこれ。カッコええ」って思いましたね。
カップスのデイヴ平尾さんらに「ジュリー、横浜に住めばいいじゃん」「みんなジュリーのこと大好きだしさ」とか言われて。そうやって住むようになって20年くらいになります。
横浜に暮らして思うのは、人情深い街で、空が広いなあ、ってこと。
最近、よく歩くようになって、発見も多いんです。谷戸坂からマリンタワーが一番よく見えるってことに気づきました。
地元では買い物にも行きますよ。本牧のつるかめランドからイトーヨーカドー、それからグルッペ本牧−−。
ニューグランドのバーにもよく行きました。ダイスのうまい名物バーテンダーがいてね、サイコロ高く積み上げる技を何度も見せてもらいました。
横浜の歌もたくさん作ったなあ。ランドマークタワーとか、本牧ふ頭とかが歌詞に出てくる。本牧ふ頭あたりからは昔はしょっちゅう霧が出てたけど、最近は気候が変わったのかなあ。本牧通りを上がってくると、夜空に映える独特なハーバーライトのオレンジ色が見えるんですよね。
伊勢佐木、野毛、馬車道、長者町通り……。何回歩いても、よくわからないごちゃごちゃした通りって好きなんです。中華街もまだ隅々行けてない。

大みそかの夜はいつも、日付が変わる瞬間に「はい」って家の窓を開けるんです。中華街の爆竹の音、港の汽笛の音、近くの寺のちょっと高い鐘の音……。みんな聞こえてくる。遠くには八景島の花火も見えます。
もうどこに引っ越そうって思わない。横浜ですね。横浜でお墓を探さないとなあ、なんて思ってます。
(朝日新聞・2009年1月1日)


ハマっ子が聞いたら涙がちょちょぎれるような話かもしれませんが、俄か市民の私には、正直言って、こういった横浜の魅力が充分わかっているとは言い難く、まだよそ者の意識で横浜を見ているところがあります。やはり、横浜というのは一歩踏み込んで中に入り、時間をかけないとわからないところがあるのかもしれません。少なくともみなとみらいのようなイメージで見ていたら、見えるものも見えなくなるような気がします。それが東京と違うところですね。

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2009.03.14 Sat l 横浜 l top ▲
KISS.jpg


 恋愛は人間永遠の問題だ。人間ある限り、その人生のおそらく最も主要なるものが恋愛なのだろうと私は思う。


これは、坂口安吾の「恋愛論」(『堕落論』所収)の一節ですが、たしかに今までの人生をふり返ってみるに、恋愛はいちばんと言ってもいいくらい大きな出来事(思い出)として残っています。

安吾は、「恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ」と書いていますが、私もいつの間にかその「大人の心」を持つ年齢になってしまいました。だからこそ、若い人達には大いに恋をして大いに失恋し大いに泣いた方がいいと言いたいのです。最近は傷つくのが怖くて恋愛をしない若者が多いそうですが、そんな歪んだナルシシズムを抱えたまま大人になっていくというのは逆に怖いなと思います。

寝ても覚めても好きな人のことを考える、そんな体験は長い人生でもそうそうあるものではありません。一方で、人を好きになればなるほどより孤独になっていく自分がいます。それは、人を好きになることが同時に自分と向き合うことでもあるからでしょう。

そして、そんな自分の目に映っているのは、今までの自分ではない自分です。人を好きになることによって新しい自分を発見することがあるのです。ときに、どうして自分はこんな人間なんだろうと悩むこともあります。そうやって自分という存在を激しく揺さぶられることがあります。それらは、歪んだナルシシズムとは対極にあるものです。

孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、このほかに花はない。


人を好きになることはせつないしつらいし苦しいし、ときに哀しいものでもありますが、人生においてこんな(人間として)直截且つ原初的な体験を一度にすることは恋愛をおいて他にありません。大いに恋をすべしですね。

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2009.03.11 Wed l 日常・その他 l top ▲
ユーミン

人間というのは年を取るとやたら過去ばかり振り返るようになります。音楽を聴く場合も、どうしても過去の歌ばかりを聴いて思い出に浸るようになるものです。

先日たまたま用事で根岸に行った際、「ドルフィン」の前を通ったのですが、それ以来、ユーミンの歌を聴いています。「ドルフィン」はご存知ユーミンの「海を見ていた午後」で”山手のドルフィン”と歌われているあまりに有名なレストランですが、若気の至りと言うべきか、私も昔、ユーミンファンのガールフレンドと食事に行ったことがありました。当時と建物が変わっていましたが、今も健在なのはやはりユーミンのおかげかもしれませんね。むしろ、ユーミンファンも既に中高年になり金銭的に余裕が出てきたので、昔より客単価はあがっているのかもしれないと、ついよけいなことまで考えてしまいました。

私は、ユーミンの歌ではこの「海を見ていた午後」と「ひこうき雲」と「雨の街を」が好きです。特に、マーケティングやタイアップと無縁だった(?)荒井由実時代の初期にいい歌が多いなと思います。彼女は八王子生まれで学校も多摩美ですが、なんとなくユーミンと横浜はイメージで重なるものがありますね。もっとも、横浜や湘南を連想させるような海を歌った作品が多いし、自身の結婚式も山手教会で披露宴はニューグランドホテルでしたので、横浜に対して特別な思い入れがあったのかもしれません。

ユーミンの歌は同じ抒情でも日本人特有のベタっとしたものではなく、異邦人の目で見たようなどこか乾いた客観的なところがあるように思います。それが、舞台装置もさることながら、「都会的だ」と言われる所以でもあるのではないでしょうか。また、ユーミンの歌には”生活感”がないとよく言われますが、高度成長が完結し大衆消費社会が出現した「豊かな時代」では”生活感”が後景に退くのは当然で、そういった意味でも、70年代から80年代の若者達の時代感覚をポップなメロディに乗せて描出した彼女は、やはり、天才だったと言うべきでしょう。

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2009.02.27 Fri l 文化・芸能 l top ▲
また憂鬱な季節がはじまりました。私の場合、今年は目からはじまった感じです。目玉を取り出して洗いたくなるほど痒くてたまりません。同病相哀れむ知人は鼻水に悩ませられていると言ってましたので、人によって違うようです。

既に目薬を3つも買って試していますが、どれも気休め程度の効果しかありません。飲み薬だとたしかに症状が改善されますが、しかし、その前に我慢できないくらい眠くなるので、ほとんど睡眠薬代わりにしか使えないのです。

ちなみに、花粉症市場は1500億円で、その中で市販薬の売上は約400億円だそうです。マスクだけでも100億円市場に拡大しているのだとか。(http://ocnspecial.blogzine.jp/weekly/2006/03/post_f518.html

そう言えば、知人も「高いよ」と嘆いていましたが、最近はマスクも高機能をうたい文句に値段の高いものが多くなりました。なんだか足元を見られているような気がしないでもありません。私は60枚入りで480円だとかいうような使い捨ての不織布マスクを使用していますが、ドラッグストアの店頭にあるのは値段の高い高機能のマスクばかりです。駅前のドラッグストアで、店員に「安い箱入りのマスクはないのですか?」と訊いたところ、「あぁ〜」と言われて、店の奥の陳列棚に案内されました。一番下段の文字通り隅の方にぽつんと置かれ肩身が狭そうでした。

ところで、2月23日のヤフートピックスで紹介されていた医療介護CBニュース配信の記事によれば、理研(理化学研究所)横浜研究所の谷口克センター長(免疫・アレルギー科学総合研究センター)は、日本製薬工業協会が主催する「製薬協プレスツアー」の講演で、「花粉症などのアレルギー性疾患は文明病であり、人間が物質文明を追求したために生じた免疫機能失調症だ」と指摘、「子どもを花粉症にしないための9か条」として以下の項目をあげたそうです。

▽生後早期にBCGを接種させる▽幼児期からヨーグルトなど乳酸菌飲食物を摂取させる▽小児期にはなるべく抗生物質を使わない▽猫、犬を家の中で飼育する▽早期に託児所などに預け、細菌感染の機会を増やす▽適度に不衛生な環境を維持する▽狭い家で、子だくさんの状態で育てる▽農家で育てる▽手や顔を洗う回数を少なくする


子どもの頃からなるべく細菌に感染させることで逆に免疫機能を高めるという発想は、文字通り目から鱗が落ちる気がしますね。多田富雄さんの『免疫の意味論』(青土社)を思い出しました。

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2009.02.23 Mon l 健康 l top ▲
文藝春秋2009年3月号

村上春樹のイスラエルの文学賞・エルサレム賞の受賞スピーチに対して、ある高名なブロガーが「日本人の誇りだ」などと絶賛していましたが、村上春樹というと、皆さん、どうしてそんなに有難がるのでしょうか。今や村上春樹は裸の王様になったような感さえあります。

「壁」と「卵」という喩えも、いつものことながら、思わず吹き出してしまいそうなレベルのものでしかありませんが、そういった声はほとんど聞かれません。邦訳された受賞スピーチ(記念講演)の全文をいくつか読みましたが、天の邪鬼な私にはやはり、”カマトト”や”弁解”という言葉しか浮かびませんでした。まあ、それが村上ワールドだと言われればたしかにそうなのですが‥‥。

さて、『文藝春秋』(3月号)に掲載されていた第140回芥川賞受賞作・津村記久子氏の「ポストライムの舟」を読みました。ポストライムというのはどんな植物なんだろうと思って、ネットで検索したのですが、なかなか出てきませんでした。そして、やっと見つけたのが下記のブログです。

http://plaza.rakuten.co.jp/12140716/diary/?ctgy=2

私は「ポストライムの舟」のような小説は好きです。奈良の築50年の実家で母親と二人暮らしの主人公・ナガセは、ある日、契約社員として働いている工場の休憩室で、NGOが主催する世界一周旅行のポスターに目が止まり、突然、その費用163万円を貯めようと決意するのでした。それは手取り13万8千円の彼女の給料のほぼ1年分の金額でした。

 生きるために薄給を稼いで、小銭で生命を維持している。そうでありながら、工場でのすべての時間を、世界一周という行為に換金することもできる。ナガセは首を傾げながら、自分の生活に一石を投じるものが、世界一周であるような気分になってきていた。


砂を噛むような味気ない毎日、そんな毎日を生きるせつなさとやり切れなさ、そこに「一石を投じる」ことで、何かが変わるような気がするのは私達も経験することです。生きるということはそういうことなのですね。地方で暮らす30歳を前にした女性の等身大の日常を通して、そういった人生の断面を見事に描いていると思いました。

 日本がもしコミュニストの国になったら(それは当然ありうることだ)、僕はもはや決して詩を書かず、遠い田舎の町工場の労働者となって、言葉すくなに鉄を打とう。働くことの好きな、しゃべることのきらいな人間として、火を入れ、鉄を灼き、だまって死んで行こう。


これは、石原吉郎さんの1960年8月6日の「ノート」に記されていた文章ですが、少なくとも戦後の文学はこういった視点から出発したはずなのです。そして、こういった日常こそがなによりも価値があるのだということを私達も既に知っているはずです。選評で、山田詠美が「『蟹工船』より、こっちでしょう」と書いていましたが、私もそう思いました。

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2009.02.17 Tue l 文化・芸能 l top ▲